最初に、前日の行動をつけてなかったから書こう。

11月4日。
朝から札幌。バンドサークルの例会に出る。
午後は所属合唱団の団内交流でボーリング。
一年生で一番だったためにMVPとして「おたる」
をもらう。ちなみに二ゲーム197点。へぼい。
二つ隣のレーンを見ていると先輩が五連続ストライクを出していた。5ゲーム目終了で159点ってなに?
その後下のゲーセンに降りて行くと4年目の先輩が野球拳をしていた。始めてゲーム画面を見る。
キャラクター選択画面に顔がでないのは反則だ。
脱いでいく度に笑顔が増すあの女の人は怖かった。
夕飯までに家に帰宅。ぐーたら。

11月5日
久しぶりに地元の友人と遊ぶ。
家にあった某雑誌を見て激笑。
家にあったゲームをやって燃える。

さて、一友人にこんな事を言われた。
「日記って自分のためにつけるものなのに皆に嬉々としてみせるのってワカンナイ。人に見せれるほど高尚な事書いてるわけでもないだろうし」

うーみゅ。高尚なんて難しい単語を使いおって。
確かに一理あるんだよね。
日記の意味ってものを一度考えてみる。
「日記をつける」という行為は自分の過去を振り返ることが目的だ。
あの頃はこんな事思ってたんだ、とか
この頃はヤバメだった、とか。
自分が生活してきた足跡を残すのにつけるのが日記だろう。
「日記」は「作文」じゃない。
飾った言葉で書いてもそれは日記じゃなくて作文なんだ。自分のその日思ったことを、自分の言葉で、書く瞬間に考えて書くのが日記だと思う。
だから、書く前から原稿を考えたりするのは「作文」の領域だし、文章が支離滅裂だったり読みにくかったりしてもそれは日記だから良いのだ。

人に見せると言うことに関して俺は一友人とは異なった考えを持っている。
日記をなぜ人に見せたいのか。
俺は特に意識していなかったが、改めて考えてみると自分の存在を示したかったと言えるだろうな。

高尚な事を書ける人ならはじめからこのインターネット上には載せる必要はない。
自分がどんな事を思って、どんな事をしたくて、どんな事をしているのか。
そんな、日常の事をしているひとがいるって事を伝えたいんじゃないかと感じた。

進んで日記を見せる必要はないと思うけど、誰も見てくれないのはやはり寂しい。
見てくれる人がいるなら精一杯の感謝の気持ちを伝えたいな。

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