「AIR」
2001年3月1日そのカラスは道路の上に立っていた。
自分がそこにいる意味が分からずにただ、誰かが来てくれる事を期待してそこにいた。
そして少女は来た。
少女の名は神尾御鈴。御鈴は肩にカラスを乗せて歩き出した。しばらく歩いて防波堤までくると寝ている人影を発見した。その青年はよほど疲れているのか御鈴がいくらつついても目を覚まさない。
仕方なく御鈴はその場は離れた。
次の日御鈴はきょろきょろと探し物をしているらしい青年へと近づいていった。カラスも一緒である。
青年の名は国崎住人と言い、子供に蹴られて飛んでいった大事な人形を探しているらしい。
カラスはこの時既に御鈴から「そら」という名前を貰っていた。
「そら」はこの風景を見て何か違和感を感じていたがそれが何なのかは気付かない。
そして住人は御鈴の家にやっかいになり、生活を共にして行く。
やがて御鈴の体が変調を来たし、義理の母親である晴子が出かけている間に御鈴は生命の危機に教われる。その時の住人の行動を見て「そら」はようやく記憶を取り戻す。
「そら」は住人の生まれ代わりだったのだ。
住人は御鈴を助ける間際、心から祈った。
「もう一度、出会った頃からやり直したい」と
そして方術の力により「そら」という存在になって時を繰り返してきたのだ。
そして「そら」は自分が住人に託された力を使い、御鈴を救う。自分の記憶はこの時完全に消えてただのカラスに戻ってしまった。
その後、義理の母親晴子が帰宅する。
晴子は神尾の家に行き御鈴を自分の本当の子供にして欲しいと直談判していたのだ。
そして本当の親子となった晴子と御鈴はそれまでのよそよそしい関係をやり直すかのように「家族」として生きていこうとする。
しかしそこに「空の少女の呪い」が再び降りかかった。
御鈴の体が変調を来たし、あるはずのない痛みが走る。
晴子は直談判に行く時に住人が言った言葉を思い出しどうすればいいか苦悩する。
何日か経って御鈴の体調が安定した時には御鈴の記憶は消えていた。
幼児に戻ったかのような御鈴の行動。激しい拒絶に自分を見失い、絶望する晴子。
しかし御鈴の本当の父親が訪れた事で晴子は御鈴を本当に大事にしているのだと気付き、これからゆっくりと二人でやり直そうと決意する。
その熱意が伝わったのか本当の父親もそれを理解し御鈴も晴子に引かれていった。
体の衰弱も止まり、晴子は何もかもが順調に戻っていくような気がしていた。
御鈴はある日、海岸まで連れていって欲しいと晴子に頼む。
晴子は最初、御鈴を背負って歩いていたが浜辺が近くなった時、御鈴は自分で立って歩くと言う。
晴子はしばらく離れて立ち、御鈴が来るのを俟つ。
御鈴が順調に歩いていた。そして晴子の数歩手前まで来た時。
「私、がんばったよね。もう、頑張らなくても良いよね」
そう言った。
その言葉が意味する所を晴子は理解する。
結局事態は何の好転もしていなかったのだ。
ゆっくりと、一歩一歩晴子の元へと歩いていく御鈴
必死に来るなと叫ぶ晴子。
そして・・・二人の影が重なる。
「ゴール・イン」
泣き叫ぶ晴子。
「こんなんいやや!これからも頑張っていこう、御鈴!!」
その晴子へと弱々しくも本当に幸福そうな笑みを浮かべて目を閉じる御鈴。
その目が開かれる事はもう、無かった。
そして御鈴は空にいる少女に記憶を届ける。
最後に得た、幸せな記憶を。
千年目の夏にやっと得る事のできた、幸せな記憶を。
「そら」は数日後、晴子に発見される。
「もうあの娘はここにはいないんや。あんたも名前らしく空へと帰り」
「そら」は駆け出した。少女を捜し求めるために。
きっと少女は空にいる。そう、信じて。
「そら」は遥か高くはばたいていった。
俺は「〜だから」という言葉が嫌いだ。
「大学生だから」「社会人だから」とか。
別に嫌いだからと言って大学生の責任とかを軽視しているわけじゃない。
「AIR」という作品は18禁のPCゲームである。
大体一般ユーザーには毛嫌いされるんだけどこの作品ははっきりいって18禁じゃない。マジデ。
なにが言いたいかと言うと同じ物の中に違うものを探すほうが違うものの中に正しいものを探すよりも難しいと言う事。
18禁ゲーをやってると言うと大抵の人が蔑みの目で見る。
「あんなのやってるなんてねぇ」
とかなんとか言って。たしかに「あんなの」は否定しない。これはアニメを見る人への視線でも共通するんだけど少しでも有名どころからはなれたアニメを知ってると奇異の目で見られるんだよな。
良いものは良いとどうして認められないのか・・・。
ようはこの「AIR」と言う作品ははっきり言って
ストーリーは本当に感動するんだけど、やってもいないのに18禁ゲーと言うだけで否定する人が多いって事。
まあ、仕方ないけどやっぱ「18禁だから」
というのは何となく良い気しない。
ちゃんとシナリオを読んでみて俺には合わないとかなら良いんだけどね。
長くなったから締め。
誰かがこれは駄目だと言ってるから私もこれはやだって考え方は止めて欲しいし、自分でもしないようにしたいと考えてる。
自分がそこにいる意味が分からずにただ、誰かが来てくれる事を期待してそこにいた。
そして少女は来た。
少女の名は神尾御鈴。御鈴は肩にカラスを乗せて歩き出した。しばらく歩いて防波堤までくると寝ている人影を発見した。その青年はよほど疲れているのか御鈴がいくらつついても目を覚まさない。
仕方なく御鈴はその場は離れた。
次の日御鈴はきょろきょろと探し物をしているらしい青年へと近づいていった。カラスも一緒である。
青年の名は国崎住人と言い、子供に蹴られて飛んでいった大事な人形を探しているらしい。
カラスはこの時既に御鈴から「そら」という名前を貰っていた。
「そら」はこの風景を見て何か違和感を感じていたがそれが何なのかは気付かない。
そして住人は御鈴の家にやっかいになり、生活を共にして行く。
やがて御鈴の体が変調を来たし、義理の母親である晴子が出かけている間に御鈴は生命の危機に教われる。その時の住人の行動を見て「そら」はようやく記憶を取り戻す。
「そら」は住人の生まれ代わりだったのだ。
住人は御鈴を助ける間際、心から祈った。
「もう一度、出会った頃からやり直したい」と
そして方術の力により「そら」という存在になって時を繰り返してきたのだ。
そして「そら」は自分が住人に託された力を使い、御鈴を救う。自分の記憶はこの時完全に消えてただのカラスに戻ってしまった。
その後、義理の母親晴子が帰宅する。
晴子は神尾の家に行き御鈴を自分の本当の子供にして欲しいと直談判していたのだ。
そして本当の親子となった晴子と御鈴はそれまでのよそよそしい関係をやり直すかのように「家族」として生きていこうとする。
しかしそこに「空の少女の呪い」が再び降りかかった。
御鈴の体が変調を来たし、あるはずのない痛みが走る。
晴子は直談判に行く時に住人が言った言葉を思い出しどうすればいいか苦悩する。
何日か経って御鈴の体調が安定した時には御鈴の記憶は消えていた。
幼児に戻ったかのような御鈴の行動。激しい拒絶に自分を見失い、絶望する晴子。
しかし御鈴の本当の父親が訪れた事で晴子は御鈴を本当に大事にしているのだと気付き、これからゆっくりと二人でやり直そうと決意する。
その熱意が伝わったのか本当の父親もそれを理解し御鈴も晴子に引かれていった。
体の衰弱も止まり、晴子は何もかもが順調に戻っていくような気がしていた。
御鈴はある日、海岸まで連れていって欲しいと晴子に頼む。
晴子は最初、御鈴を背負って歩いていたが浜辺が近くなった時、御鈴は自分で立って歩くと言う。
晴子はしばらく離れて立ち、御鈴が来るのを俟つ。
御鈴が順調に歩いていた。そして晴子の数歩手前まで来た時。
「私、がんばったよね。もう、頑張らなくても良いよね」
そう言った。
その言葉が意味する所を晴子は理解する。
結局事態は何の好転もしていなかったのだ。
ゆっくりと、一歩一歩晴子の元へと歩いていく御鈴
必死に来るなと叫ぶ晴子。
そして・・・二人の影が重なる。
「ゴール・イン」
泣き叫ぶ晴子。
「こんなんいやや!これからも頑張っていこう、御鈴!!」
その晴子へと弱々しくも本当に幸福そうな笑みを浮かべて目を閉じる御鈴。
その目が開かれる事はもう、無かった。
そして御鈴は空にいる少女に記憶を届ける。
最後に得た、幸せな記憶を。
千年目の夏にやっと得る事のできた、幸せな記憶を。
「そら」は数日後、晴子に発見される。
「もうあの娘はここにはいないんや。あんたも名前らしく空へと帰り」
「そら」は駆け出した。少女を捜し求めるために。
きっと少女は空にいる。そう、信じて。
「そら」は遥か高くはばたいていった。
俺は「〜だから」という言葉が嫌いだ。
「大学生だから」「社会人だから」とか。
別に嫌いだからと言って大学生の責任とかを軽視しているわけじゃない。
「AIR」という作品は18禁のPCゲームである。
大体一般ユーザーには毛嫌いされるんだけどこの作品ははっきりいって18禁じゃない。マジデ。
なにが言いたいかと言うと同じ物の中に違うものを探すほうが違うものの中に正しいものを探すよりも難しいと言う事。
18禁ゲーをやってると言うと大抵の人が蔑みの目で見る。
「あんなのやってるなんてねぇ」
とかなんとか言って。たしかに「あんなの」は否定しない。これはアニメを見る人への視線でも共通するんだけど少しでも有名どころからはなれたアニメを知ってると奇異の目で見られるんだよな。
良いものは良いとどうして認められないのか・・・。
ようはこの「AIR」と言う作品ははっきり言って
ストーリーは本当に感動するんだけど、やってもいないのに18禁ゲーと言うだけで否定する人が多いって事。
まあ、仕方ないけどやっぱ「18禁だから」
というのは何となく良い気しない。
ちゃんとシナリオを読んでみて俺には合わないとかなら良いんだけどね。
長くなったから締め。
誰かがこれは駄目だと言ってるから私もこれはやだって考え方は止めて欲しいし、自分でもしないようにしたいと考えてる。
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